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2009年9月22日 (火)

『ドリアングレイの肖像』をみて・・・

13日に千秋楽となりました『ドリアングレイの肖像』ですが、私にとっては、耕史さん出演作品で初ストレートプレイです。shine

ざっくり感想・・・観に行って良かった。再演があればぜひ行きたい。出演者の皆さんも熱演して、生演奏の音楽とともに「ドリアン」の世界を空気を作り出していってた

ドリアンが主人公となっているけれど、『美とは何か。』について、結果的にドリアンもヘンリー卿もバジルもそれを考察するための駒のひとつになっているって感じ。『美』で“人”という区分で語るにしても、外見のあくまでも形状の美・年齢から来るもの・内面の美・行動の美・・・などなど、多方面から語れるわけです。何に美を求めるかについても。モラルとかをどこまで捨てられるかとか。

オスカー・ワイルドの原作は読んでいないのですが、おそらく、相当削ぎ落とせるものは削ぎ落として、且つ、ただ粗筋を追うだけにならないように再構築しているのかなと思いました。ドリアンの肖像画を具体的に出さなかったのが良かった。観客其々が、自分の脳内で思いの美しいドリアンと変異していくドリアンを描くことが出来るのだから。これは、ラストにも関係してきて、それぞれのラストシーンがあるんじゃないのかな。セットも、ほぼL字の鉄骨を組み合わせたものを回転させて角度を変えることによって、ドリアンの部屋、アトリエ、劇場等などを作り上げて行ってました。これは、同じものでも、見せ方と見方でまったく違ったものになることを感じさせたし、場面転換で舞台が回るたびにドリアンが退廃の運命の渦に巻き込まれて転落していく不安さが伝わる。

黒子さんも召使いの姿で登場するが良い。影が見えても違和感ないし、お金持ちで暇と余裕のある人達のゲームなのね・・・と思えて。台詞のある執事がマスクをつけているのが、作品の妖しい雰囲気を出していた。この原作にはかかわっていないけれど、「サロメ」の挿絵を描いたビアズリーの絵に出てくる人物みたいだった。細部にまで気を抜きませんな。wink

wine

人を惑わせる美貌を持つ青年ドリアン・・・、名前からして、“碧眼、金髪巻き毛野郎”(by E少佐)なのかと思っていたら、銀髪直毛の月の光のようなドリアン青年がすらりと美しく存在していました。薄いラベンダー色の髪も混じっているのかな?リボンと最初に来ていた薄紫がかったグレーのスーツ似よく馴染んで綺麗だった。佇まいも綺麗。何か骨格から綺麗なので、人間離れしたフィギュアのよう。髪型アニメっぽいしw 

いや、しかし、なるほどー、美しすぎる月の光は人の心を狂わせるってことですか。表情も満月のように翳り無く無垢である。この役、耕史さんに合っていると思いました。これから穢れていくというか、落ちていく様を強調するために、必要以上に純粋さとかを作らずに自然に人間味薄く存在していたのが良い。作りすぎると白痴っぽくなるかもしれないので。その匙加減が流石です。

ドリアンに興味を持たない人はいないだろうし、世間の常識を持ち合せているであろうバジルでさえも、同性愛的な感情を持って念の篭った(笑)絵を描かせてしまうような、誰も彼も無防備にさせてしまう美しい人がいたわけですね。(本人は永遠の美を欲しがったみたいだけど、月が満ち欠けするように何でも永遠にそのままってことはありえんのです。)

・・・で、本人の頭の中はというと、純粋というよりも無防備でそれなりに教養もあるのだが、何も考えていなくて、他人の気持ちの斟酌とかが“がんばりましょう”で、自分の思い込みの世界の中で相手も含めたストーリーが完結して盛り上がっている。(おかげで、二人の女性がとんでもないことに。)悲しいことがおこっても案外本人は悲しんでいるようで“つるっと”している。(でも、じわじわ後から苦しみ悲しみがわいてくる)

純粋で邪気の無い表情から、一瞬自分の保身のために人を騙したり、弄んだりする時の表情の変化がかなり怖い。シビルの弟に命乞いをして、自分の外見が変らないことを思い出して言い逃れの理由を思いついたときのニヤッとした顔は邪悪そのもので、まじかで見て怖かったw ドリアンが苦しんで、“善人になりたい!”って泣いてるのを、“何をいまさら・・・本気で思ってないやろ。遅かりし、由良の介”と多少共感するところはあっても、同情なんかしない私も怖いかなw

同情すべきは、もっと回りにしっかりした人が付いていたらここまではならなかったと思うけれど、ヘンリー卿に出会ってしまった。ヘンリー卿は、“人生において美とは何か”みたいな事を、金も暇も地位もある安全地帯から屁理屈コネまくって言葉遊びをしている、無責任な野次馬で、ろくでもない方にに煽ったりしているが、たまに真っ当で親切なことを気まぐれに言う世間様みたいな存在。これにドリアンは自分から引っかかってしまったわけですね。ヘンリー卿には勿論、ドリアン転落計画みたいな悪意は無いわけで、思いつきと気まぐれで好き勝手なことを囁いていたんだと思いますよ。

指輪をお近づきの印しで渡すところがあるけど、これは悪魔との契約を意味しているのかな。“善人になりたい!”って泣き叫んだ後に指輪をヘンリー卿に返したけれど、結局また指輪はドリアンの元に返ってきた。「自分を変えることは出来ない。」って意味もあるのかな。

生まれ変わるために、過去を捨てるために、醜い自分を捨て美しい自分でありたいために、肖像画を切り裂き絵とともに滅びるドリアン。ひとつの身体に二人分の魂は入らなかったのだろう。(当然だけど。)ヘンリー卿は指輪をドリアンの手に握らせ、冷淡ともいえる動作で上着の裾を翻して去っていく。途中、上から倒れているドリアンの姿を見て(その時にもよるのだけれど、)友を救えなかった後悔とも、愚かな壊れた玩具への侮蔑ともとれる複雑な表情を一瞬見せるが、さっと踵を返して去ってしまう。指輪を戻したのは、“友情の印だから持っていて”なのか、“嫌なものは忘れたいから要らない。”なのか。これもどちらにも解釈できる。 ヘンリー卿にとってドリアンは“過ぎさった何か”になってしまうのかな。

ヘンリー卿の台詞で心に残ったのは・・・

「どんな話も話題にしなければ、無かったのと同じこと。」

・・・どんな善行も、どんな悪行も、誰も伝えなければ、誰かの記憶に留まらなければ、最初から何も起こっていなかったのと同じだってこと。伝えない自由ってのもあるらしい。

「悲しみは見せ掛け。顔と心は別物。」

・・・時期的に、「友愛は見せかけ、言葉と行動は別物。heart」と聞こえて薄ら寒くなったのでした。

あ、それから、ドリアン、アヘンをあぶっちゃいけませんぜ。

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